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本のなかを散歩……真間・継橋考

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sekisho

いつの時代にも散歩の好きな人は居たようです。今回は江戸時代の“散歩名人”を紹介しましょう。

最近、講談社から『江戸近郊道しるべ』(芸術文庫・現代語訳)が発行されました。江戸時代に村尾嘉陵さんが日帰りできる距離を歩いて 文章にした本ですが昔の人は良く歩いたものだなぁと健脚ぶりを思わせます。
この本に「下総国府台 真間の道芝」という一文があります。文化4年(1807)陰暦3月7日、まだ暗いうちに浜町の家を出発します。 その頃、江戸川は利根川と呼ばれていて、小岩・市川の関を船で渡り市川へとやってきます。国府台へと足を運び総寧寺の僧に案内を請います。 この辺、とても詳しく書かれていて新発見も多いのですが、そこは省略。その後弘法寺、真間を訪ね、継橋について「ああでもない、こうでも ない」といろいろ考察します。それがなかなか面白いので紹介しましょう。

もともと真間の地名の発祥は古く、上代日本語以来の古語で、崖や地形の崩れを意味したようです。嘉陵さんは、昔は文字がなくて「まま」 という言葉だけがあったが、時代が経つにつれて漢字を当てはめて「真間」とした、橋の名前も「真間橋」であったのではないだろうか、それを 別の漢字に「継(まま)」と書き換えるようになって「継(つぎ)橋」と呼ばれるようになったのでは、と考えます。 また当時は、ここにふたつの橋が架かっていて、ふたつ目の橋なので「次の橋」それが「継橋」になったのかもしれないなぁ、と思いを膨らませます

見聞きしたものを正確に書きとめると同時にこうして自分の考えも書く。器用で文才もある嘉陵さんの姿が目に浮かびます。
嘉陵さんが市川へとやってきた市川の関。当時は関とは名ばかりで、杉の丸木の門を作ってあるだけ、それを「当代の安泰を示すめでたいこと」 と書いています。案外今の関所跡のような感じだったのかもしれません。当時はどうだったのか、江戸名所図会で関所を見るとびっくり。 関所があったのは小岩のほうで、市川には関所がないのです。
いかにも市川の川岸に関所があったとPRするのは考えものと思いました。

案内人:木ノ内博道(参考資料:『講談社・江戸近郊道しるべ』)

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