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野菊の墓文学碑

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【西蓮寺裏境内に建立されている「野菊の墓文学碑」】

bungakuhi西蓮寺近くになると「野菊のこみち」は坂道になり濃い緑色をした歩道橋が現れます。歩道橋左の階段を昇れば「野菊苑」という広場。歩道橋を渡ると「野菊の墓文学碑」に出ます。
「野菊の墓文学碑」の文末には「昭和三十九年十月門人土屋文明識」と刻まれています。土屋文明はアララギ派の歌人。文化功労者。文化勲章を受章しています。

野菊の墓文学碑

野菊の墓文学碑
「野菊の墓」は松戸市矢切と市川を舞台にした伊藤左千夫の小説です。主人公は矢切に住む15歳の少年・斎藤政夫。母が病弱で看護のかたわら農作業の手伝いに2歳年上の従姉・民子が市川から来ます。そして、淡い恋物語が始まるのです。

西蓮寺の裏境内にある「野菊の墓文学碑」には舞台となった矢切を描写した文が刻まれています。

  野菊の墓文学碑

  僕の家といふは、松戸から二里許り下がって、矢切の渡を東へ渡り、小高い岡上で矢張り矢切村と言っている所。崖の上になっているので、利根川は勿論、中川までもかすかに見え、武蔵一ゑんが見渡される。秩父から足柄箱根の山々、富士の高峯も見える。
東京の上野の森だと云うのもそれらしく見える。村はづれの坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子のくるのを待つた。こゝから見おろすと少しの田圃がある。色よく黄ばんだ晩稲に露をおんでシツトリ打伏した光景は、気のせゐか殊に清々しく、胸のすくやうな眺めである。

伊藤左千夫著 野菊の墓より

碑の文は、僕の家の説明、政夫が民子と茄子をもぎに行った裏畑からの眺めの描写、二人が山畑へ綿を採りに行くことになり、気恥ずかしい政夫が銀杏の下で民子を待つ描写の各部分を組み合せたものです。モデルとなった銀杏は「野菊の墓文学碑」のある西蓮寺の入り口にあったもので、現在はその一部が文学碑の敷地に植えられています。

小説の舞台となった矢切は市川市国府台の隣ですから、「市川」という言葉が数多く登場します。「船で市川へ出るつもりだから」、「今度は陸路市川へ出て、市川から汽車に・・・」、民子が嫁に行ったのも「市川の内で、大変裕福な家」。「市川」という言葉は16回登場します。

伊藤左千夫は 1864(元治元)年、現在の千葉県山武市に生まれました。短歌の改革運動をしていた正岡子規の門下として写生短歌を学び、子規の没後に歌壇「アララギ」を主宰します。明治39年1月に「我輩は猫である」の連載されていた俳誌「ホトトギス」第九巻第四号に「野菊の墓」を発表。夏目漱石は「野菊の花は名品です。自然で、淡泊で、可哀想で、美しくて、野趣があつて結構です。あんな小説なら何百篇よんでもよろしい」と左千夫に書簡を送っています。

1955(昭和30)年、木下恵介監督により「野菊の如き君なりき」として映画化。その後、映画に2回、TVドラマに9回映像化されています。
「野菊の墓」は物語も美しく、描写している写生文も美しい作品です。文学碑を訪ね、政夫と民子を思い浮かべてみてはいかがでしょう。(堀)

【野菊のこみち】

nogikunokomichi市川橋から江戸川沿いにサイクリングロードを3キロほど北上した右手に「矢切の渡し」の看板が見え、その隣に「野菊のこみち」の入り口があります。
小道が分岐する地点には石碑と矢印の看板があって、「野菊の墓文学碑」のある西蓮寺まで案内してくれます。

 

【参考】

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