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明戸古墳の石を探して

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里見公園の一角に明戸(あけと)古墳があるのをご存知でしょうか。もともとは前方後円墳だったといわれますが、今は小高い丘の上に2つの石棺が自然に露出したかのように置かれています(写真1)。愛の物語が紡がれた、高貴な夫妻がここに弔われたと想像が膨らみます。ところが江戸名所図会の国府台古戦場の絵には、石がバラバラに置かれた様に描かれています(写真2)。盗掘されて、バラバラになった石を後年、現在のように整えたのでしょう。気のせいか、材質の違う石も混在しているように感じます。

蓋もあったはずだと近所の物知りおばあちゃんに聞いてみると、公園のなかにある夜泣き石の台座がそれだと言います。見てみると、なんとなく石棺と同じ材質の石にも見えます(写真3)。一旦バラバラになったと考えると他にも使われているかもしれません。そんな疑いが生まれた折、江戸名所図会の鏡石の絵に書かれた文章に石棺の蓋で橋を作ったとあるのを見つけました。鏡石は京成真間駅の線路内にあったはずと、公園から30分ほど歩いて駅に向かいました。
「この石はもと弘法寺から国分寺に向かう道筋の、平川にかかる橋のたもとにあったもの」と説明書き(写真4・5)にもあります。
移転して今は邪魔者として線路のそばに追いやられています。そしてその鏡石がヘンなんです。鏡石は要石ともいわれ地中の大きな石が少しだけ地面に顔を出したもののはずです。江戸名所図会にも大きな石として鏡石が描かれていますが地中深く巨大な石の一部が顔を出したものには見えないのです。

謎は深まりますが鏡石はこの辺にして探索に戻りましょう。江戸時代に平川と呼ばれていた川はどこなのだろうと考えます。唯一参考になるのは解説にある「弘法寺から国分寺に向かう道筋」というものです。この間に川があるとしたら低地の部分で、じゅんさい公園から流れ出す小川のことと思われますが、現在では暗渠になったうえアスファルトで舗装されていて橋らしいものさえ見つけることができません。うろうろと彷徨ったものの今回はこの地を高台から眺めるだけで良しとしようと弘法寺に戻り、江戸時代の風景がどうであったかに思いを馳せながら国分寺の方を眺めました。

案内人:木ノ内博道(参考資料:『江戸名所図会』 『里見公園新聞』)

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