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中山法華経寺

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【法華経寺祖師堂】

soshido宗祖日蓮聖人が祀られているお堂。鎌倉時代(1325)に上棟。その後、消失などにより何度か再建され、現在のものは江戸時代中期(1678)に上棟されたものです。

中山法華経寺

JR総武線下総中山駅ホームの北側から、商店街の奥に緑青に覆われた門が見えます。この門は日蓮宗のお寺として全国的に有名な中山法華経寺の山門です。以前はホームから「中山法華経寺」のアーチも見えましたが、現在ではなくなっています。

中山法華経寺は1260年(鎌倉時代)に創立された日蓮宗の大本山の一つです。大本山とは日蓮の重要な遺跡・宗門上の顕著な沿革のあるお寺で、大本山の称号を用いて大切に守られています。大本山は全国で七つ、そのうちの三つが千葉県内にあります。誕生寺・清澄寺・中山法華経寺(千葉県)、北山本門寺(静岡県)、池上本門寺(東京都)、妙顕寺・本圀寺(京都府)です。

1222(貞応元)年、日蓮は安房国小湊(現在の千葉県鴨川市、旧・安房郡天津小湊町)に生まれました。12歳のとき清澄寺へ入ります。清澄寺は円仁が建てたお寺ですから、日蓮は最初は天台宗の僧でした。

16歳で出家。鎌倉・比叡山・高野山などで学び、「法華経こそ全ての人々を救うことができる唯一の経典である」と確信するようになります。1253年(建長5)、清澄寺に帰っていた日蓮は、清澄寺の僧に「反浄土教」を説きます。

日蓮が39歳のとき、「1257年の大地震のような天変地異や飢饉疫病が蔓延する深刻な混乱状況の根本は、法然の専修念仏が広まり、正法である法華経の信仰が失われようとしているからだ」と説いた「立正安国論」を鎌倉幕府の前執権北条時頼へ呈上します。

鎌倉時代の中頃、法華経寺奥之院のある場所(八幡荘若宮)には千葉氏に使えていた富木常忍の館がありました。常忍は懸命に布教していた日蓮と出会い、熱心な信者になりました。

批判していた念仏者により、日蓮は鎌倉の松葉谷で焼討ちに遭い、常忍を頼って若宮に難を逃れます。常忍は館の中に法華堂を建て、日蓮を迎えて説法を願いました。この説法は百回を数え、この若宮は日蓮の「初転法輪の旧跡」と言われています。また、安房の小松原で、地頭東条景信に襲われ、捕らえられそうになったときにも日蓮は若宮に身を寄せています。
常忍は中山の大田乗明、曽谷の曽谷教信と共に日蓮の初期檀越となり、日蓮が亡くなった後に「日常」と名乗り、法華経寺の初代貫首となりました。

千葉胤貞の養子「日祐」が三代目貫首のときに宗胤の遺骨を安置し、千葉氏の氏寺になりました。四代目貫首「日尊」により、浄光院・法宣院・安世院・本行院の四つの塔頭(四院)により大事の協議をする制度が定められています。その後、室町から江戸時代になると、広く庶民に信仰される寺になりました。

「信仰の場所として尊重していただけない方は立ち入りをご遠慮ください。ここは観光施設や公園ではありません」と書いてある貼り紙が眼に入りました。門の入り口では、深々と頭を垂れお祈りをしている高齢の婦人とその息子らしい人に会いました。ここは観光の場所でも、散歩の場所でのないのです。合掌。(堀)

【聖教殿】

old_book法華経寺には国宝の「立正安国論」「勧心本尊抄」をはじめ、重要文化財64点、その他の重要な文書が伝えられています。
昭和6年、これらの文書を完全に保存するため、この聖教殿が建立されました。毎年11月3日の文化の日に「お風入れ」の儀が行われます。

【参考】

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