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市川関所跡

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【江戸川堤防にある「市川関所跡」】

ichikawa_sekisho市川関所跡は、昭和58年3月に設置されました。その後老朽化により案内板が読めなくなったため、江戸川堤防の拡幅工事に伴い、平成16年7月に移設されたものです。江戸川の護岸工事が何度も行われ、正確な関所の建物、渡船場の位置は明らかではありません。

市川関所跡

明治38年に江戸川橋が掛けられるまで、江戸川には橋がありませんでした。幕府は江戸を守るために主要河川に橋を架けることを禁止し、渡しには幕府が定めた定船場(じょうふなば)が設けられました。そして、それ以外の場所で河を渡ることは厳しく制限されました。

【対岸の二村一対で一つの関所】
「小岩・市川関所」は対岸の二村が一対で一つの関所として定められていました。幕府の役人が旅人を調べた建物は小岩側にあり、市川村は緊急のときに補佐する役割で、市川村には往来する人のために番小屋があり、船、船頭や人夫がいました。

【市川関所跡】
市川関所跡には市川市が設置した案内版があります。そこには天保5年(1834)~天保7年(1836)に発行された「江戸名所図会(えどめいしょずえ)」の金属プレートがはめ込まれています。図には小岩側に茅葺の御関所、市川側には国府の台、根本村、真間山、市川宿が描かれ、当時ののどかな様子が伺えます。

【御番所町跡】
市川関所跡の江戸川対岸は昔、御番所町と言われたところです。京成江戸川駅から50mほど南のところに角屋旅館があり、その横に「御番所町跡」の案内板が立っています。案内板には昭和25年頃の角屋旅館の写真が掲載されています。1階は瓦、2階は茅葺屋根の建物です。案内板によれば、現在もある角屋旅館のほかに筑前屋、清水屋などの旅籠屋を兼ねた小料理屋をはじめ、井熊鮨、あめ屋、豆腐屋、ぬか屋、掛茶屋などが並んでいたそうです。

【入鉄砲出女】
関所の主な役割は江戸の防衛でしたから、特に「入鉄砲出女(いりでっぽうでおんな)」といって、江戸に入る鉄砲と江戸から出る女性が厳重に取り締まられました。男性の旅は女性ほどは、難しくなかったようです。

【関所破りは死罪】
相の川(現在の地名は相之川町)を女性を連れて渡ろうとして、関所破りで処刑されたという話しが伝えられています。下総小弓城(千葉市中央区南生実町)の家臣久三郎は女性を連れて婦人禁制の江戸川を渡ろうとし、久三郎・女性・船頭 2人の4人は幕府の役人に捕まり、張り付けの刑になったそうです。不法渡河者を発見して捉え差し出した者には褒美を取らせ、また、見逃した者は処罰されました。

【そして今】
明治2年に関所廃止令が出され、市川関所の使命は終わりました。現在の市川関所跡付近にはJR総武線と京成線の鉄橋・国道14号には市川橋がかけられ、小岩側河川敷には菖蒲園や野球グラウンド・・・と、すっかり様子が変わってしまいました。それでも、関所跡を訪ねて案内板の江戸名所図会を眺めれば、江戸時代の人々の暮しが想像出来るかも知れません。(堀)

【市川関所跡の所在地】 google map

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【参考】

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