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郭沫若記念館

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【須和田2-3-14から移築された郭沫若記念館】

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郭沫若(かくまつじゃく)記念館

書置きを書きおわり、私はまたそっと足をしのばせて寝室へもどった。安娜はもはや眼をさまし、電燈をつけて枕元で本を読んでいた。むろん私が起きたのに気がついて眼をさましたのだ。子供たちは、ごろごろ転がって、みんなよく眠っている。
思わず涙が出た。
蚊帳をまくって、安娜の額に接吻し、別れのしるしとした。彼女はむろん私の気持を知るよしもない・・・。

この文章は郭沫若記念館に展示されている岡崎俊夫訳「亡命十年」(筑摩書房1953)の一部です。夫人の郷里である日本に亡命していた郭沫若は日中戦争の発端となる盧溝橋事件の勃発を知り、家族を残して中国へ帰国しました。そのときの別れ記述したものです。

住んでいたのは「市川市須和田」。この中に記述されている郭沫若の妻・安娜(アンナ)は仙台出身の佐藤をとみです。

郭沫若は中国の現代文学者・歴史学者・古文研究者で、国務院副総理・科学院院長・全国文学芸術連合会主席・全人代常務副委員長・中日友好協会名誉会長などを歴任した政治家・社会活動家です。

郭沫若は1892年、現在の中国四川省楽山市の地主・商人の家に生まれ、母の影響もあり幼少のころから詩を読むのが好きな少年でした。
彼の人生は日本と深いつながりがあります。

1914年、国民政府から月に33円の奨学金を受ける官費留学生として来日し、東京第一高等学校、岡山第六高等学校、九州帝国大学医学部で学びます。妻・安娜との出会いは岡山に住んでいた時。第一高等学校で学んだ中国人同郷が肺結核のため入院した東京板橋聖路加病院へ見舞に訪ねたことからです。

大学在学中に文学活動を開始。詩集「女神」を出版。大学卒業後に帰国。編集の仕事に就き、詩集「星空」を出版。再度来日し、河上肇「社会組織と社会革命」を翻訳してマルクス主義の影響を受けました。

1925年、広東中山大学院院長に就任。国民革命軍による北伐がおこると実戦に参加します。第一次国共合作により、国民党と共産党は提携していましたが、蒋介石によるクーデターが勃発。郭沫若は蒋介石に追われてソ連亡命を目指します。しかし、発疹チフスのため乗船出来ず、夫人の郷里である日本へ亡命しました。日本では市川市須和田に住むようになります。

亡命生活は10年間続きました。その間、中国古代社会研究に没頭。多くの著作を刊行しています。そして、1937年に盧溝橋事件を知りひとり中国に帰国することになるのです。

新生中国では国家の中枢として活躍しました。1955年には中国学術文化視察団団長として来日し、須和田の旧宅を訪れました。そのときの感動を詠んだのが「別須和田」という長歌です。後に須和田公園に「別須和田」の碑として建てられました。1978年逝去。85歳でした。(堀)

【写真】須和田公園にある「別須和田の詩碑」

suwadamonument1955年、中国学術文化視察団の団長として来日した際に、友好のしるしにと建立された。
須和田への思いを綴った詩「別須和田」が刻まれている。

【参考】

  • 広報いちかわ 2004年8月28日号

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