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国分寺

【仁王門付近から見た国分寺本堂】

kokubunjihondo「下総国分寺」と記された碑の奥に見える国分寺本堂。
かつて国分寺には七重塔がありました。その礎石は台石として利用されて来ましたが、現在は刈り込まれたドウダンツツジの中にオブジェとして配置されています。
伽藍(がらん)は何度か火災で焼失。現在の本堂は昭和17年に竣工したものと碑に記載されています。

国分寺

市川市国府台は下総国の国府があった場所です。大化改新(645)以後、大和朝廷は国毎に国府を定め、律令国家が形成されていきます。大宝元年(701)大宝律令により、国・郡・里などが定められたのです。

「各国に国分寺、国分尼寺を建立すること」。天平13年(741)、聖武天皇の詔勅(しょうちょく:天皇の発する公式文書の総称)が発せられます。各国では国分寺・国分尼寺が建立され、下総国に建てられた場所が現在の市川市国分です。

国府は地方を監督するのに必要でした。では、各国に国分寺を設置した理由は何だったのでしょう。「国分寺建立の詔(みことのり)」については「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記載されています。

「国を災難がなく泰平に導くにはどうすれば良いのだろうか。近年、稔りも少なく疫病も流行している。そこで、神々を祀り、国々に釈迦三尊像の造立、大般若経の写経を命ずると天候は順調で豊かに実った。このことから、諸国に七重塔を建て、金光明最勝王経と妙法蓮華経を写経して納めることにする」という記述があります。

他に、建立は必ず好い場所を選ぶ・毎月8日に金光明最勝王経を読経する・毎月六斎日には行事を行い、公私ともに漁、猟などの殺生をしないこと、国司はこれらを監督することが命じられています。

仏教は紀元前5世紀頃、お釈迦様によって教えが説かれました。釈迦とは人の名前ではなく部族の名前です。釈迦国の偉い人という意味です。名前はゴータマ・シッダッタと言いました。釈迦国は今のインドとネパールの間あたりで、家柄は王とよばれる名門でした。

日本に仏教が伝来したのは飛鳥時代(552)。日本に伝わったのは出家僧だけでなく在家信者も救われるとする大乗仏教です。

日本書紀には、日本に仏教が入る際に旧来の宗教勢力と騒動があったと書かれています。「西の国々は仏教を信じている、日本もどうして信じないでおれようか」と仏教に帰依する大臣も現れ、天皇が積極的に仏教振興の政策を進めるようになります。

604年、聖徳太子は仏教思想を基に官僚・貴族の道徳的規範を示した「十七条憲法」を定めました。その後にも、お寺の建立、仏像・経の礼拝を指示する詔が何度も諸国へ出されています。

「国分寺建立の詔」を発した聖武天皇は信仰の厚い人で、大和国分寺の東大寺に大仏を建造し、位を孝謙天皇に譲り、自ら出家しています。

約1300年前、天災は怨霊や神によるものと考えた時代でしょうから、仏教は最先端の学問だったと思います。昔の優秀な人の「礼儀正しい幸福な良い国にしたい」という願いが聞こえるような気がします。(堀)

【駐車場から見る満開の桜越しの国分寺南大門】

kokubunji_south_gate阿形(あぎょう)像・吽形(うんぎょう)像の仁王尊が安置されています。吽形像は明治24年11月の火災の折に山門と一緒に焼失しましたが、阿形像は救出。昭和49年に阿形像は復元造像。山門は昭和53年に再建されました。

【参考】

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