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59:(200512)

少聞多想/59:泉岳寺に行ってきました。

  • 14日の赤穂浪士の吉良邸討ち入りには少し早かったのですが、思い付いて泉岳寺に行って来ました。泉岳寺は都営浅草線の泉岳寺駅を降りて歩いてすぐの所にありました。
  • 忠臣蔵を手短に話してみます。1701 年 3 月、江戸城内松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかりる事件が起きます。浅野は切腹、赤穂藩は取りつぶしを命じられます。家老の大石内蔵介は浅野家再興の運動を行いますが叶いません。吉良上野介はおとがめなし。それを不満とした47人の赤穂浪士は  1702 年 12 月 14 日、吉良邸へ討ち入って主君の仇を討ったのです。浪士たちは吉良邸のあった両国から主君の眠る泉岳寺まで歩き、主君へ報告をしました。1703 年 2 月 4 日、幕府に命ぜられ赤穂浪士は切腹。後に浄瑠璃・歌舞伎として演じられ、もてはやされた話です。
  • 12 月 14 日にNHK「その時歴史が動いた・歴史の選択・討ち入り組VS討ち入り不参加組」を放送しておりました。300 人以上の元赤穂藩士のうち、ほとんどは討ち入りに参加していません。浪士たちの仇討ちのエネルギーは「喧嘩両成敗という裁きのルールに反している」という怒りの感情だったのかも知れません。今とは価値観が違うとは言え、吉良の首を取った後、空しくはなかったのでしょうか。(堀)
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