ご近所の散歩道/3:【2004/07】永井荷風の住んでいた市川
永井荷風の住んでいた市川
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【写真】文学の道(桜土手公園)にある永井荷風紹介板 |
永井荷風(本名:壮吉)は、明治12年12月3日、小石川区金富町に内務省のエリート官僚である父久一郎、母恒の長男として生まれました。
新聞の懸賞小説に入賞する一方、明治32年には落語家朝寝坊むらくに弟子入り、三遊亭夢之助と名乗っています。
明治36年、父の勧めでアメリカに留学。明治40年勤めていた銀行のニューヨーク支店からフランス.リヨン支店に転勤。明治41年に銀行を辞職。パリで芝居やオペラに通っていたようです。
帰国後の明治41年に米国での旅行記「アメリカ物語」を発表。
明治42年には「フランス物語」を刊行しますが、発禁処分。明治42年には「歓楽」も発禁処分になります。
43年には森鴎外、上田敏の推薦で慶応義塾大学文学科教授を勤めるかたわら「三田文学」を主宰しました。また、多くの芸妓、私娼と恋愛関係になり、墨田区東向島にあった私娼街「玉ノ井」通いつめています。
荷風は「耽美派の旗手」と言われていました。「耽美主義」とは美を唯一最高の理想とし、美の実現を人生の至上の目的とする考え方です。金銭的に恵まれた家庭に育った荷風は「人間として美しいものは何なのか」と常に問い続け、富を求める近代日本に反発していたのだと思います。
昭和12年、「墨東綺譚(ぼくとうきたん:墨東は隅田川の東、綺譚は世にも珍しく面白い物語の意)」を朝日新聞に連載し、好評を得ました。
市川へ越したのは昭和21年。大島一雄の借家(菅野258番地)に間借りし、翌年にはフランス文学者の小西家(菅野278番地)の一室を借りて自炊生活をしました。昭和23年に古家(菅野1124番地)を買って一人住まいをはじめ、昭和27年、文化勲章受章。その年金は市川郵便局で受け取っていました。昭和32年には八幡町4?1228番地に家を新築しています。
「四畳半襖下張」は荷風の作と言われています。昭和22年1月に「四畳半襖下張」秘密出版の件で、市川警察署に出頭しています。「人間の美を描くとき、生きることの根本である『性』があり、それは美であり、その営みを描くことが何故『猥褻』という犯罪なのか・・・」。そんな荷風の声が聞こえてきそうです。
昭和34年4月30日自宅で没。79歳。(堀)
【写真】荷風が通った大黒屋(八幡3-26-5)
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昭和32年、荷風は京成八幡駅の近くに家を新築しました。荷風が77歳のときです。 その頃、よく京成八幡駅前の「大黒屋」へ行って食事をしていました。 女将さんにお話を伺うと「お嫁に来た頃で、私が毎日出したんですよ」とのこと。いつもきまって「並のカツ丼」と「上新香」、「お酒一合」をただ黙々と食べていたそうです。 「大黒屋」では荷風がよく食べた「カツ丼」と同じメニューを提供しています。
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【参考】
- 「台東区と文学・永井荷風」
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/bungaku/ - 「東京紅團・永井荷風の戦後を歩く」
http://www.tokyo-kurenaidan.com/kafu-14.htm - 「市川シティネット・永井荷風と市川」
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/bunka/kahu/index.htm - 「大黒家ホームページ」
http://www7.ocn.ne.jp/~daik88/



