市川市の朝日新聞販売店です。

永井荷風

  • HOME »
  • 永井荷風
【文学の道(桜土手公園)にある永井荷風紹介板】

kahuu_kanban桜土手公園から真間川沿いまで、桜並木の下に作家・詩人・脚本家・俳人・歌人など市川ゆかりの文学者について記述された15枚の紹介板があります。
これは「真間史跡保存会」が設置したもので、国府台女子学院前の交差点から桜土手公園に入り、数えて8枚目が永井荷風の紹介です。
さらに真間川に向かって進むと、「市川と近代文学」(永井荷風・幸田露伴・北原白秋の紹介)の碑、「文学の散歩道・近代文化区のみち案内図」があります。
「近代文化区のみち案内図」は残念ながら風化により、写真が剥げ落ちてしまっています。

永井荷風の住んでいた市川

永井荷風(本名:壮吉)は、明治12年12月3日、小石川区金富町に内務省のエリート官僚である父久一郎、母恒の長男として生まれました。

新聞の懸賞小説に入賞する一方、明治32年には落語家朝寝坊むらくに弟子入り、三遊亭夢之助と名乗っています。

明治36年、父の勧めでアメリカに留学。明治40年勤めていた銀行のニューヨーク支店からフランス.リヨン支店に転勤。明治41年に銀行を辞職。パリで芝居やオペラに通っていたようです。

帰国後の明治41年に米国での旅行記「アメリカ物語」を発表。
明治42年には「フランス物語」を刊行しますが、発禁処分。明治42年には「歓楽」も発禁処分になります。

43年には森鴎外、上田敏の推薦で慶応義塾大学文学科教授を勤めるかたわら「三田文学」を主宰しました。また、多くの芸妓、私娼と恋愛関係になり、墨田区東向島にあった私娼街「玉ノ井」通いつめています。

荷風は「耽美派の旗手」と言われていました。「耽美主義」とは美を唯一最高の理想とし、美の実現を人生の至上の目的とする考え方です。金銭的に恵まれた家庭に育った荷風は「人間として美しいものは何なのか」と常に問い続け、富を求める近代日本に反発していたのだと思います。

昭和12年、「墨東綺譚(ぼくとうきたん:墨東は隅田川の東、綺譚は世にも珍しく面白い物語の意)」を朝日新聞に連載し、好評を得ました。

市川へ越したのは昭和21年。大島一雄の借家(菅野258番地)に間借りし、翌年にはフランス文学者の小西家(菅野278番地)の一室を借りて自炊生活をしました。昭和23年に古家(菅野1124番地)を買って一人住まいをはじめ、昭和27年、文化勲章受章。その年金は市川郵便局で受け取っていました。昭和32年には八幡町4?1228番地に家を新築しています。

「四畳半襖下張」は荷風の作と言われています。昭和22年1月に「四畳半襖下張」秘密出版の件で、市川警察署に出頭しています。「人間の美を描くとき、生きることの根本である『性』があり、それは美であり、その営みを描くことが何故『猥褻』という犯罪なのか・・・」。そんな荷風の声が聞こえてきそうです。

昭和34年4月30日自宅で没。79歳。(堀)

【写真】荷風が通った大黒屋(八幡3-26-5)

kahuu_daikokuya昭和32年、荷風は京成八幡駅の近くに家を新築しました。荷風が77歳のときです。
その頃、よく京成八幡駅前の「大黒屋」へ行って食事をしていました。
女将さんにお話を伺うと「お嫁に来た頃で、私が毎日出したんですよ」とのこと。いつもきまって「並のカツ丼」と「上新香」、「お酒一合」をただ黙々と食べていたそうです。
「大黒屋」では荷風がよく食べた「カツ丼」と同じメニューを提供しています。

  • 荷風セット(カツ丼+上新香+日本酒一合)1,522円(インターネットのクーポンを印刷して持参すると1,260円)
  • 電話:047-322-1717 / 3730

 

【参考】

お気軽にお問い合わせください。 TEL 047-322-4634 受付時間 9:00 - 18:00

古紙回収について

古紙回収のお願い

朝8時迄に回収袋に入れてお出しください。(雨天決行)

古紙回収の日程

新聞休読の連絡はお早めに!

ホームページから「お留守止めのご連絡」が出来ます。詳しくはこちらをご覧ください。
PAGETOP
Copyright © (株)ワイ・エヌ・シー All Rights Reserved.