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里見公園

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【バラに囲まれたブロンズ像 久保田俶通作「水の詩」】

bronze_statue管理事務所前にある噴水広場。入り口には、市川市とドイツ・ローゼンハイム市がパートナーシティを締結し、その時に贈られたバラ「マリア・リサ」を記念した「ローゼンハイムガーデン」の看板があります。バラ園には数多くの品種のバラが植えられています。

里見公園

【明戸古墳石棺】
公園北西部の小高いところに2つの石棺があります。1479年、太田道灌が陣を築く際に発見されたと伝えられています。

【国府台城】
下総(しもうさ)国を支配していた豪族は千葉氏でした。当主よりも筆頭家老である原氏の勢力のほうが強くなり、内紛が起こりました(1478年)。扇谷上杉家の家臣・太田道灌(どうかん)は室町幕府の命を受けて千葉実胤(ちば さねたね)・自胤(よりたね)を援軍することになります。その際に合戦に備えて築いのが「国府台城」です。「国府台城」は「市河城」「鴻之台城」とも呼ばれました。

【国府台合戦】
また、里見公園は戦国時代(1493-1573頃)に何度か合戦のあった場所です。室町幕府の力が弱まり、将軍に刃向かう勢力が出てきます。幕府は与えていた領土を保障出来なくなると、新しい実力者がのし上がって領土を統治していくようになります。領土をめぐる大名間の戦いが繰り返されるようになります。

  • 1538年:足利義明(あしかがよしあき)は下総国国府台に出陣し、小田原城を本拠とする北条氏綱(ほうじょううじつな)と決戦。始めは義明が優勢でしたが、氏綱の反撃により義明は戦死してしまいます。その後、国府台は事実上北条領となりました。
  • 1564年:安房国・里見義弘は上杉謙信の要請により国府台に出陣します。北条氏康の軍との合戦となり、里見軍が破れました。五千名の戦死者があり、里見軍将兵を供養するための供養塔が江戸時代後期(1829年)に建立されました。

 

【夜泣き石伝説】
戦死した武将・里見弘次の末娘・姫が安房の国から駆けつけます。まだ12、3歳の姫は戦場の悲惨な情景に傍らの石にもたれて泣き続け、息絶えてしまいます。それから毎夜泣き声が聞こえるようになり、その石は「夜泣き石」と呼ばれるようになりました。
その後、事情を聞いた一人の武士が姫の供養をすると、泣き声は聞こえなくなった、という伝説です。

【徳川家康による廃城】
1590年、徳川家康が江戸に入ると「国府台城」は廃城になりました。江戸を見下ろす場所であったためと言われています。

【明治以降は軍用地】
1874(明治8)年、文部省は国府台に大学設置を決定。用地買収は完了しましたが、飲料水を得るのが困難、汽車もなく通勤に不便など反対意見により、大学設置は立ち消えになりました。
1887(明治19)年、その用地に陸軍教導団が設置されます。この教導団病院が現在の国立精神・神経センター国府台病院です。現在のスポーツセンターが錬兵場でした。教導団の廃止後は野砲兵連隊となり、太平洋戦争時は首都防衛のための高射砲陣地が設置されました。
1958(昭和33)年、「里見公園」として整備され、現在は桜の名所となっています。(堀)

【市川市最高標高地点】

most_high_altitudes_spot市川市の最高標高地点は里見公園内の森です。噴水広場から右手へ進んだ森の中に「市川市最高標高地点(標高 30.1m)」という標識があります。

【参考】

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