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須和田公園

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【桜が満開の須和田公園(4月2日 撮影)】

suwada_parkバラ園に立つ子供像と満開の桜。右手には「須和田遺跡の碑」、海軍司令官として、日清・日露戦争に活躍した東郷平八郎の書による「忠魂碑」が建っています。裏を見ると大正14年7月、帝国在郷軍人会市川町分会が建立したことが分かります。
子供像の奥には「市川市楽山市友好都市締結15周年記念」の碑、友好都市締結のきっかけとなった中国の文学者・郭沫若の詩碑「別須和田」があります。

須和田公園

市川には曽谷貝塚、姥山貝塚、明戸古墳石棺、法皇塚古墳など数多くの遺跡があります。須和田公園は昭和43年に弥生時代後期の須和田遺跡が整備され、公園になったものです。
須和田遺跡は下総国府の近くに位置していますから、考古学的にも重要なものを考えられているようで、5回の発掘調査が行われています。

初期の発掘調査を行ったのは杉原荘介博士です。杉原博士についてネットで検索しますと、「戦後考古学の巨人と呼ばれ、考古学に興味を持った人が本を読んだり、博物館めぐりをすると、いやでも名前を目にするようになる人」と言うことが書かれています。

杉原博士は東京府立三中(現在の両国高校)のときから考古学の研究を始め、19歳のときには「下総飛ノ台貝塚調査概報」を発表しています。須和田遺跡の発掘により弥生式土器に「須和田式土器」、土師(はじ)器に「真間式土器」の名称を付け発表することになります。須和田発掘が昭和8年ですから、そのときにはまだ20歳と言う若い考古学者だったということになります。
昭和18年の調査は戦没者の霊を祭るための忠霊殿を建立するために行われたものです。真珠湾攻撃による太平洋戦争の勃発の2年後で、山本五十六大将が戦死・中学生以上の学徒勤労動員決定した年です。戦況の悪化で市川にも戦没者が出た時期だったのでしょう。

忠霊殿が建立された場所には戦国時代の里見・後北条による国府台合戦の伝説がある「太鼓塚」と呼ばれる塚がありました。里見軍がこの塚の上に櫓を組んで合図に使うための太鼓を置いたことから、塚は「太鼓塚」と言われるようになったのだそうです。
太鼓塚を平らにならして忠霊殿を建立したのですが、その忠霊殿も今では姿を見ることは出来ません。

そののち、第二中学校々庭の発掘・忠霊殿南側の発掘が行われ、弥生時代中期から平安時代初期の大規模な集落であったと推定されています。
遺跡の他には遊具があり子供の遊べる広場、太い古木の藤棚、バラ園などもあります。

桜は散りますけれど、次は清々しい新緑の季節。5月の中旬からは藤棚の藤も咲きますし、繰り返し咲いて楽しませてくれるバラ・・・と野外探索には絶好の季節になります。
須和田公園は古代を感じることが出来る場所。古代の人たちも私たちのように喜び、悲しんだに違いありません。須和田公園に出かけ、物質は豊かではなかったかも知れないけれど、心豊かに生きようとした古代の人たちを思い浮かべてみてはいかがでしょう。(堀)

【須和田遺跡】

suwada_isekiこの場所に弥生時代の復元家屋がありました。昭和44年、須和田遺跡から検出された弥生時代後期の住居を元に当時の手法により復元されたものです。復元家屋は平成9年11に不審火によって消失し、現在では残っていません。
千野原靖方著「市川歴史探訪」には立派な茅葺屋根の写真が掲載されており、古代の豊かな暮らしを想像することが出来ます。

【参考】

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