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「市川市の戦争遺跡」を歩く

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「市川市の戦争遺跡」を歩く

国府台付近の戦争遺跡についてネットで調べると、森兵男さんという方が作った「千葉県の戦争遺跡」が見つかります。サイトは海軍第一種軍装で小銃を持った青年の写真、「戦争遺跡も失われつつある昨今、戦争の記憶を風化させないために何をなすべきか」と言うメッセージがあり、千葉県内の旧陸海軍の軍事施設など戦争に関わる遺跡を紹介されています。今回はその中から「市川市の戦争遺跡」の一部をたどります。

日本が第2次世界大戦で敗戦するまで、国府台、国分、中国分には多くの陸軍施設がありました。明治18年に陸軍下士官を養成するために教導団が設置され、教導団廃止後には野砲兵第2旅団、その後は野戦重砲兵第3旅団などが配備されていました。

里見公園の分園へ行く急な坂は「旅団坂」と呼ばれ、坂の右手に野砲兵旅団司令部、坂下に傭兵所、坂の上には弾薬庫がありました。国府台付近の松戸街道沿いは「軍隊の町」として栄えたのだそうです。

真間山弘法寺境内には「国府台砲兵の碑」があります。これは野戦銃砲兵出身の方たちが、先士戦友の功業を讃え、慰霊するために昭和46年に建立したもの。

里見公園への入り口交差点にある国立国際医療センター国府台病院は、終戦までは「国府台陸軍病院」と言う名称でした。「市川市の戦争遺跡」には清水寛著「日本帝国陸軍と精神障害兵士」が引用され、戦争神経症の患者の治療も行っていたことが示されています。戦後、国府台陸軍病院は厚生省に移管され、「国立国府台病院」として発足しています。

西部公民館駐輪場の脇に「東台開拓碑」があります。この碑は昭和50年に東台開拓農業共同組合が建立したもので、陸軍東練兵場に復員軍人の人たちが入植し、食料確保のために荒野を開墾したことが刻まれています。じゅんさい池の東側台地一帯は陸軍兵士を鍛錬するための広大な練兵場だったのです。

碑文の一部にパン工場経営についての記述があります。このパン工場は山崎製パン創業者である飯島藤十郎さんが中心になって経営していたもので、飯島さんは高射砲兵として過ごした市川の練兵場跡に入植していたのです。その後、飯島さんは後に大企業となる山崎製パンを国府台に興しています。
「市川市の戦争遺跡」には他にも、じゅんさい池東側台地の陸軍射撃場、里見公園周辺にあったと言われる高射砲座、国分尼寺北側の高射砲陣地、軍用道路切り開いた囚人の墓についての記述があります。膨大な調査、記述を行った森さんに感謝いたします。(堀)

【野砲兵十六連隊裏門の一部と思われるレンガ】

renga国府台病院前の信号を西に入り、里見公園少し手前の東京医科歯科大学側に建物か塀の一部だったと思われるレンガがあります。

【野砲兵旅団司令部跡の防火水槽】

tank松戸街道を北上すると千葉商科大学の手前に横断歩道橋があります。左手の坂を上ると野砲兵旅団司令部があった場所です。「千葉県の戦争遺跡」には「これは戦前からあるとされ」と記載され、軍の貯水槽か何かの付属設備ではないか、と推定しています。

弘法寺境内にある「国府台砲兵の碑」

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西部公民館にある「東台開拓碑」

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【参考】

 

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